
山の上の光 (オイルパステル)
新約聖書 マタイによる福音書5章
5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
旧約聖書 イザヤ書43章
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
お久しぶりです。
今年の年賀状用に描いた絵です。
今年はこのマタイのみことばに何度か出会っています。
たまたまお正月に母と空海の話になって、
「空海 最澄」で検索したら“空海が中国で景教(原始キリスト教の一派)を学び
景教の洗礼を受けていた”との記事に出会いました。
そのとき洗礼名「遍照金剛」を授かり、マタイ5:16から来ているのだとのこと。
ちゃんとした本で読んだのではないので真偽のほどはどの程度でしょう?
でも「あら、今年の年賀状のだ」と思ったのでした。
その他にも
「最後の立派な行ないってどういうことなんでしょうね?」
ってSNSで話したり。。。
愛されたから信頼しているし、信じられるし、
信頼しているから偽りなくごめんなさいって裸の自分のままで、
畏れ多くも(!)神さまの前に立てる。
ではどうして愛されているとわかったか?
自分の救われがたさがわかって、それでも救うと書いてある聖書の神さまに
ただ惨めな自分を、もうどうしようもなくさらしただけ。。。
すごい体験をしました。
人知をはるかに超える愛を体験しました。
私は何も特別なのではない。
みんなそうなんですわ〜。
でも「こうやったら体験できるよ!」って言えないもどかしさ…
もうイエスさまを知らない自分ではない。
一生懸命人の愛を得ようとコビを売り、自己啓発し、正しくあろうと努力していた自分ではない。
もう愛はある。
そこから私のキャラのまま、そのまま在るだけで世の中の波紋になる。
というか当たり前のことで、みんなが同じなんだよね。
願わくば私に内住のイエスさまが波紋を広げてくださいますように。
切に、切に。。。祈。
なんだか語ってしまった。。。照