c0199096_22462852.jpg
あなたの眠っている時にも   (オイルパステル)



主はその愛する者に、
眠っている時にも、
なくてならぬものを
与えられるからである。

(詩篇127:2b)



寓意の謎解きになりますが、
右上の鳥はハトで聖霊を表し、
魚はクリスチャンの隠語になっていて
聖霊と信仰がキスしているというのを
表現しました。

そのまんま。。。


ちなみに今年の年賀状用に書いたので
犬は今年の干支を表しています。(笑)









[PR]
c0199096_1945242.jpg

空であう                    (TUNA-KAI クレヨン)



昨日東日本大震災から5年の日でした


いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
(コリント人への手紙 第一 13:13)



愛だけがほんもの
愛が一番強い


愛のために苦しくても
愛があったから生きられる


まだ5年
でもこの5年は無駄にならないと思います


慰めがありますように



c0199096_19172057.jpg




この絵は「トナカイクレヨン」という、
道東の標茶町という町で
草木や泥から顔料をとってつくられているクレヨンで描きました。

私がいつも使っているオイルパステルとは違います。

化学染料や銅剤が使われていません。
蜜蝋や、マルセル石鹸、ソーダ灰、羊脂と天然顔料でできているのだそうです。

原色はないとリーフレットにあったけれど、
色を重ねることもできて発色もよく、
なにより1本1本の色が美しいです。
私はそれをまだうまく使いこなせていないけれど
描きながらとても優しい気持ちになれました。

愛の絵を描くためのクレヨン。



↓クリックで飛べるようになりました!??
手作りクレヨン工房 トナカイ《 TUNA-KAI 》




[PR]
c0199096_14431882.jpg
山の上の光 (オイルパステル)




新約聖書 マタイによる福音書5章

5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」


旧約聖書 イザヤ書43章

43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。



お久しぶりです。
今年の年賀状用に描いた絵です。

今年はこのマタイのみことばに何度か出会っています。

たまたまお正月に母と空海の話になって、
「空海 最澄」で検索したら“空海が中国で景教(原始キリスト教の一派)を学び
景教の洗礼を受けていた”との記事に出会いました。
そのとき洗礼名「遍照金剛」を授かり、マタイ5:16から来ているのだとのこと。

ちゃんとした本で読んだのではないので真偽のほどはどの程度でしょう?
でも「あら、今年の年賀状のだ」と思ったのでした。


その他にも
「最後の立派な行ないってどういうことなんでしょうね?」
ってSNSで話したり。。。


愛されたから信頼しているし、信じられるし、
信頼しているから偽りなくごめんなさいって裸の自分のままで、
畏れ多くも(!)神さまの前に立てる。

ではどうして愛されているとわかったか?
自分の救われがたさがわかって、それでも救うと書いてある聖書の神さまに
ただ惨めな自分を、もうどうしようもなくさらしただけ。。。

すごい体験をしました。
人知をはるかに超える愛を体験しました。

私は何も特別なのではない。
みんなそうなんですわ〜。
でも「こうやったら体験できるよ!」って言えないもどかしさ…


もうイエスさまを知らない自分ではない。
一生懸命人の愛を得ようとコビを売り、自己啓発し、正しくあろうと努力していた自分ではない。
もう愛はある。
そこから私のキャラのまま、そのまま在るだけで世の中の波紋になる。
というか当たり前のことで、みんなが同じなんだよね。

願わくば私に内住のイエスさまが波紋を広げてくださいますように。
切に、切に。。。祈。



なんだか語ってしまった。。。照
[PR]
c0199096_1653155.jpg
オイルパステル


ご無沙汰してました。(北海道らしく「した。」)

この絵は去年の年賀状用に描いたのです。
今年じゃなくて去年のです。
今になってアップ。。。汗。
今年は年賀状を出せない年でした。


どうして今までアップできなかったかと言うと
ここの投稿の仕方忘れてしまってできなかったからです。

そしてなぜ今できたかもよくわかりません。。。

まあいいや!
[PR]
c0199096_0513526.jpg


[PR]
by widow-motokichi | 2012-12-17 01:26 | 日々のあれこれ
c0199096_201137.jpg
主の庭 もしくは うっとり鳥とブドウの木(オイルパステル、バターナイフ)

               イラスト保存流用しないでね。
               どうやったら保存できないようにできるのかわからないんです。






みなさま大変ご無沙汰いたしました。


新年、明けましておめでとうございます。

ならびに

信念、明け渡しましておめでとうございます!^^;


クリスチャン的にね^^信念も神様に明け渡してね☆ (説明くどいよ)



この絵には元になった私のとても愛している聖書の箇所があります。
ご紹介しますよ。



旧約聖書 詩篇 27篇4節

私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しきを仰ぎ見、
その宮で、思いにふける、そのために。




究極的に私はどんなに苦しくても神様の庭にいて
そこでウットリしていたい。
できるはずなの!

ま。なかなかそうならないけれど、そうなる時もあるんです。 (トーンダウン)


でも泣いてもいいさ。
神様に怒りぶちまけてもいいさ。
神様と私の蜜月があるならば。。。

「人の与えることのできない平安」ってホントにあるのだぁ!



年頭にあたり念頭にあること言っておくさ。 (あんたがたどこさ?もしかして、おやじ?)




ああ、忘れるとこだった!


ブログタイトル『T's widow』 あらため 『イラここ』 にしました。

イラストここいろの略なんですけど
略ありき?道ありき?って感じでお願いします。

で『もときち』でもいいですけど、
せっかくだから『ここいろ』にしようかと思って…^^;
みなさんはどっちでもいいですよ☆
[PR]
c0199096_22404470.jpg
クリスマス-東方の博士のあいさつ   (アクリル)


2002年のクリスマスの教会用のフライヤーのために描いたイラストです。
今年釧路の教会で、この絵を白黒でフライヤーに使ってくださったようで
そのフライヤーを牧師先生が送ってくれたのでした。
(私は釧路でもフライヤー担当していたのでこの絵を使ったことがあります)
その釧路教会のフライヤーを母に見せたら「原画が見たい」というので
何年かぶりに引っ張り出しました。




マタイによる福音書 2:1~11 (リビングバイブル)


イエスはヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムの町でお生まれになりました。
そのころ、天文学者たちが、東の国からはるばるエルサレムにやってきて、
こう尋ねました。

   「このたびお生まれになったユダヤ人の王様は、どこにおられますか。
   私たちは、その方の星をはるか東の国で見たので、
   その方を拝むために参ったのです」

それを聞いたヘロデ大王は、ひどくうろたえた。
エルサレム獣がその噂でもちきりになりました。
 
大王はさっそくユダヤ人の宗教指導者たちを招集し、
   「預言者どもは、メシア(救い主)がどこで生まれると告げているのか」と尋ねました。
彼らは答えました。
   「ユダヤのベツレヘムです。預言者ミカがこう書いております。

   『小さな町ベツレヘムよ。
   お前はユダヤの中でも決して
   ただのつまらない町ではない。
   おまえから偉大な支配者が出て、
   わたしの国民イスラエルを治めるようになるからだ』

そこでヘロデは、ひそかに天文学者たちを呼びにやり、
例の星が初めて現れた正確な時刻を聞き出しました。

  ~中略~

彼らがさっそく出発すると、なんと、あの星がまた現れて、
彼らをベツレヘムに案内し、とある家の上にとどまったではありませんか。
それを見た彼らは、おどり上がって喜びました。
 
その家に入ると、幼子と母マリアがおられました。
彼らはひれ伏して、その幼子を拝みました。
そして宝の箱を開け、金と乳香と没薬を贈り物としてささげました。




絵には神学的にいろいろご意見ご注文もあるかと思いますが
ま、いいですよね^^;

博士たちはベツレヘムまでは星が見えていたのに
ベツレヘムに入って星を見失ったか、
人に「お生まれになったユダヤの王様はどこですか?」と聞いています。
それで王様なら王宮にいるだろうということになったのですね。
でも王宮には赤ん坊はいなかった。
メシアの誕生を恐れたヘロデ王はその子を殺す目的で
博士たちにその子の居場所を教えるようにいいます。(中略の部分)
で、王宮を出た博士たちはまた星を見いだしイエスのもとにたどり着きます。
でもその後夢でお告げを受けて王宮には戻らず別の道で帰ります。


星を見失うって面白いですね。
近づくと見えなくなるものってありますよね。
愛とかもそうじゃないですか?^^;

「OOならはあそこにあるはず!」ってきらびやかなところを目指してみたり^^;

『ああ違ったんだ…』って気づいたときに
また星を見出すんですよね。
博士ったら、もう!私と同じじゃん…^^;

メーテルリンクの「青い鳥」を思い出したりして…

「幸せってこんなところにあったんだね」


イエスさまを求めていたのに近づいて見えなくなっている人いませんか?
教会という器とか、クリスチャンという人とかじゃなくて、
イエスさまという星を見上げて見失わずにいきましょう。
イエスさまと会い、体験し続けるために。。。

…と自分に言ってみる^^;
[PR]
c0199096_1547499.jpg
popup card 「洗足式」   (ワトソン紙、おり紙、アクリル板W260×H200×D100mm) 
※この写真のみクリックで大きくなります





新約聖書 ヨハネによる福音書 13章1~14節


さて、過ぎ越しの祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分のときが来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
イエスは万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知らされ、
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それからたらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」
イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
イエスは彼に言われた。「水浴したものは、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで「みながきよいのではない。」と言われたのである。
イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席について、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのようなものだからです。
それで、主であり師であるこのわたしが、あなた方の足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗いあうべきです。~後略~」





今日はイースターです^^
キリストであるイエスは十字架で死に、3日目によみがえりました!

それをお祝いする日です。


久しぶりなんですがおとといの夕方から昨日いっぱいをかけて
ポップアップカード(飛び出すカード)をつくりました。

テーマは十字架で死ぬ前の晩の「最後の晩餐」の中にある
イエスが弟子たちの足を洗う「洗足式」のエピソードを自分なりにデザインしたものです。


この後、また食事に戻って、その最中弟子のユダがイエスを裏切るために出て行きます。

このとき弟子たちはまさかイエスが間もなく処刑されるなんて思いもよらず、
ただイエスが召使のように自分たちの足を洗いだしたことに
とまどいながらも嬉しかったことと思います。
そしてそんな弟子をイエスも最後まで愛しぬかれた…そんなシーンです。

裏切ると知っているユダの足も洗ったイエス。どんな思いだったでしょう。
飼い犬に手をかまれてもなお愛しい…そんな気持ちの何百倍?(変?)
しかも神のみ旨とはいえ殺されるのに…

弟子たち、かわいかったんだろうな。心配だったろうな。
その気持ちをかみ締めながら模範を示したのだと思います。
なんか涙が出てきちゃう。。。



c0199096_16274189.jpg
 「手も頭も」のペテロは教会の岩(柱)に任命されます (手が動きます)


わたしなりにひとつひとつのお人形は12使徒のモデルがいます。

座っているペテロの後ろ、
赤い服の太っているのが収税人だったマタイ。
その横、イエスに一番愛されたというヨハネと
水色の服がその兄ヤコブ。イエスの側近。やんちゃな兄弟。
ヨハネの後ろが疑い深くちょっと引いたイメージのトマス。




c0199096_16301758.jpg
イエスを裏切るイスカリオテのユダがただひとり壁からイエスを見ています。


ユダは聖画的には黄色い服を着ていることになっているんだそうで…失敗した!
イエスと同じグレーの服にしたのは、イエスは謙遜を表そうとし、
ユダは謙遜に見せている人をあらわそうと思いました。
でもユダの黄色い服の意味は「腰抜け」なんだそうです^^;

イエスの後ろ赤い服の地味そうな人が聖書に名前以外記述のない小ヤコブ。
ユダの右横の青い服が冷静なナタナエル/バルトロマイ。
その横、聖書に記述のないタダイ/イスカリオテでない方のユダ。




c0199096_1642574.jpg
 他の弟子たち 


前列右端が熱心党(ゼロテ党)のシモン。血気盛んな若者をイメージしました。
シモンに話しかけているのがペテロの弟で温厚で堅実なイメージのアンデレ。
後列右端がちょっと優柔不断なイメージのピリポ。




c0199096_16492149.jpg
つぶしたところ


つぶすと厚さ10mm以下になります。



今回はこのスタイルのポップアップが初めてだったので
人形の奥行きによる視線の位置がわからず色々失敗^^;
箱を壊して組みなおしたらもう少しマシかも。。。


最後までありがとうございました。




主にあって、神様と人様に仕えていくことができますように。
アーメン。






3年前に旭川教会の子ども達に10枚ほど作ってそれぞれにプレゼントした
小さなイースターポップアップカード3種類はこちらから…
[PR]
c0199096_23171749.jpg
I wish you a Merry merry Christmas オイルパステル・バターナイフ・ケシゴム




クリスマスのお喜びを申し上げます^^!





どうぞ愛する人とその人がこの世にいる喜び、出あえた喜び
そしてその方を生んだご両親と環境
すべての創造主なる神に思いをはせてくださいね^^☆”


イエス・キリストは神に創られた被造物全ての贖い主(あがないぬし)救い主です。
神様から差し伸べられた握手の手です。




「神様、あなたが真理というなら本当にいるの?いるなら証拠を見せて!」

私の祈りはこれからはじまりました。
犬と散歩しながら、空を見上げ、木々を見ながら、月を見上げながら
そういうことを考えていました。
問題と葛藤があって、とても「真理」が知りたかった。
真理のところにいたかった。

「私が道であり真理でありいのちである」ヨハネによる福音書14:6


それから約1年後、時が熟して
神様の存在が私の中に湯水のように流れ込み、こられきれないほどとなり
笑っちゃうぐらい神様は実在するということが私に示されました。
神は頑固で疑い深い私に奇跡をもってご自分を示されました。
多くの人はもっと深いところで自然に導かれるようです。
洗礼を受けるのはこれはもう自然の流れでした。



神様って
あなたが本当に苦しいとき
いた方がいい存在。
知っていたほうが楽な存在。
あなたに自由を与える存在。
そして順風満帆なときはわかりにくい存在でもあります。
昼間の灯火のように。


大げさに言えば
私にとっては『自分はいなくなっても神さまがいるから大丈夫!』
そう思える存在です。





イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

                                  (ヨハネによる福音書14:6)



イエスさまが生まれた。

感謝。
[PR]
c0199096_19271323.jpg
        ウオーン!と吼えるような雲 (9/1撮影)



私はキリスト教のメノナイト派という教派の所属なのですが、
メノナイトはプロテスタントの中でも歴史は古く、
ルターの宗教改革と同時期にヨーロッパ各地で興った宗教運動が発端です。


ま、それはいいんですが、

メノナイト派は大ざっぱに2つに別れます。
(というか世界組織がないらしく各地でちょっとずつ違うらしいです)


一つはメノナイト。(メノナイト・ブレザレンなども今回含みます^^;いいのかな?)
もう一つがアメリカペンシルバニアなどで昔からの生活様式を守る「アーミッシュ=アマン派」。


メノナイト派(アーミッシュも含む)の特徴としては、
「 なぜなら、人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるからです (ローマ書10:10)」により
自分の意思ではない幼児洗礼を洗礼とは認めていないこと(信じる者の教会)
キリストによる非暴力平和主義というところですが、


アーミッシュが他のメノナイトと著しく違っているのは
一般社会と分離して昔ながらの生活様式を貫く中に宗教的な意味を見出し暮らしていることです。
自宅に電気も引かないし、電話もPC、ラジオ、TVもないし、自動車も使いません。
ローラーブレードはOK!
アーミッシュはキルトが有名ですよね☆”
礼拝様式などにも違いがあるそうです。

1985年のハリソン・フォード主演の米映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」はアーミッシュ村が舞台になりました。



そういうアーミッシュの生活はアメリカ社会の中ではかなり異質であり
コミュニティーが観光地になっているそうです。(日本のいわゆる観光地とは異なる^^;)



2006年10月4日。
アーミッシュ村の小学校に、銃を持ったアーミッシュではない男が乱入、
アーミッシュの子どもたちを殺して自殺してしまった事件。(5人殺害5人重症)

そしてその中で、幼い子どもたちをかばおうと年長の女の子(13才)が
「私から撃って」と犯人に申し出たという話や
事件後この犯人の家族をアーミッシュが赦し、和解を申し出た話などが話題になりました。
娘を亡くした父親は「犯人の家族に伝えてほしい。私たちは彼らのためにも祈っている」と言ったそう。

この事件はアメリカでも衝撃を与え、年末にその年のトップニュースになったそうです。




c0199096_215199.jpg
                ポッカリキラキラの秋 (9/1)




そんな「アーミッシュの生きかた」展が
北海道旭川で開催されます。

9/19(土)~10/18(日)
国際染織美術館


9・11テロの記念日1週間後の開催で、会期中に銃撃事件の記念日も含みますね。


http://www.yukaraori.co.jp/senbiamisyu.html



行きたいな。。。しかしきっちょ。。。やっぱり無理だろうか。



ところで、アーミッシュの人々は偶像化を嫌うので写真に撮られるということを嫌います。
(まったく私と正反対!^^; いや、私も撮られるのは嫌いだ。撮るのが好きなの^^)
なのでチラシに載っている写真が私の手元の資料やお土産のアーミッシュの写真とほぼかぶっています。あはは。
いつの時代の写真でも同じなんでしょうね。


私はきっと少しは見習わなくてはなりません…A^^;




<追記>
国際染織美術館のHPにこんなところが載っていました。
↑ のHPは期間が終わったら変わるでしょうけどこのURLは大丈夫。
https://c11cgvvq.securesites.net/amish/index.htm
現代の便利な生活との妥協…興味深いです!
[PR]